HARNEY & SONS、40年の歩み。一杯のお茶が、世界を変えるまで

この記事は、創業者のジョン・ハーニーの長男、マイク・ハーニーが書いたものです。ブランドの歴史を日本の皆様にもご紹介します。

コネチカット州の歴史ある宿での偶然の出会いから、国際的な事業展開を行う家族経営企業へ。HARNEY & SONSの歴史は、当社が現在販売している数百種類のお茶と同じくらい、驚きと深み、そして喜びに満ちています。

 

創業者ジョン・ハーニー、その原点

HARNEY & SONSの物語は、オハイオ州クリーブランド郊外のレイクウッドから始まります。私の父、ジョン・デイビッド・ハーニーが1930年8月26日に生まれた場所です。

父はコーネル大学ホテル経営学部を修了後、ニューイングランドに戻り、叔父夫妻が経営するオービス・インとウィルバートン・インで働き始めます。ウィルバートン・インで出会ったのが、生涯の伴侶となる私の母、エリーズ・デューブライン。彼女は当時、夏のアルバイトとしてウェイトレスをしていました。

その後父は海兵隊に入隊し、4年間祖国のために尽くします。除隊後にコーネル大学へ進み、1953年2月に母と結婚。ピッツバーグのサパークラブ経営を経て家族をニューイングランドに戻し、最終的に1960年頃、コネチカット州セールズベリーの歴史あるホワイト・ハート・インの経営パートナーとなります。

 

スタンレー・メイソンとの出会い

当時セールズベリーには、ロンドン出身の紅茶の専門家スタンレー・メイソンが暮らしていました。ニューヨーク市の複数の紅茶会社で経験を積んだのち、1950年代に妻ミルドレッドとともにセールズベリーで引退生活を送っていたスタンレーは、「Sarum(サラム)」という名のリーフティーを自ら調合・販売していました。Sarumとはセールズベリーの古代ローマ時代の名称——故郷イングランドと第二の故郷アメリカ、両方への敬意が込められた名前です。

父がホワイト・ハート・インの宿屋の主人になって間もなく、スタンレーは父にインでSarumを販売するよう持ちかけます。宿泊客から「どこで買えるのか」という声が増えるにつれ、父はSarumの買収を考え始め、1970年に数名のパートナーとともに買収を実現。スタンレーをコンサルタントとして迎え入れました。

Sarumの事業はホワイト・ハート・インの地下室に移り、スタンレーが父にお茶のすべてを伝授します。十代だった私が茶葉を缶に詰める作業を手伝いながら、父は急速に知識を深め、やがて自らブレンドを手がけ、ボストンのリッツ・カールトンをはじめとする大手ホテルへの販売を始めました。

 

53歳の創業、地下室から世界へ

1980年2月、スタンレー・メイソンが他界。数年後、ホワイト・ハート・インの共同経営者たちが売却を発表します。

1983年当時、父と母はともに50代前半で、老後の蓄えはほとんどありませんでした。それでも父は、53歳で自宅の地下室からHARNEY & SONS TEAを創業することを決意します。

社名の「& Sons(息子たち)」は、当時は先を見越した命名でした。私はシカゴのホテルで働いており、弟のポールはまだ高校生。それでも父はその名を選びます。いつか家族でお茶の世界を切り拓くという、揺るぎないビジョンがあったからです。

創業当初の取り扱いはわずか6種。イングリッシュ・ブレックファースト、アールグレイ、ダージリン、ガンパウダー・グリーン、フォルモサ・ウーロン、アイリッシュ・ブレックファースト。父はホテル業時代の人脈を頼りに全米を行脚し、レストランやホテルの支配人に対して直接、お茶の品質を語り続けました。

父の得意な営業スタイルがありました。商談の場で競合他社のティーバッグをその場で開封し、HARNEY & SONSの茶葉と並べて見せながらこう言うのです。「なぜ、こんなものをお客様に出せるのですか」。本物への確信から来る言葉は、多くの支配人の心を動かしました。

父はかつて自分を「紅茶界のジョニー・アップルシード」と呼んでいました。コーヒー文化の根強いアメリカで、本物のお茶の価値を広めた人物として、父はその役割を誇りに思っていました。

 

家族の合流、そして全米へ

1988年、私がホテル業を離れHARNEY & SONSへ。「& Sons」の一人目がようやく揃います。1993年にはコネチカット州レイクヴィルに地上工場を設立し、地下室の時代に別れを告げました。その数年後、妻ブリジットが最初の直営店をオープン。Williams-Sonomaとの取引が始まり、認知は全米へと広がっていきます。父はこの頃、フリーダイヤル1-800-TEA-TIMEを登録しました。当時大学生だった妹エリーズにとっては、実家への無料電話としても重宝されたようです。

1997年には品揃えが100種を超え、6種から始まったブランドの成長を実感します。最も人気だったのはイングリッシュ・ブレックファースト、次いでアールグレイ、そしてホット・シナモン・スパイス——今ではトップの座を占めるあの一杯です。同年、海兵隊を除隊した弟ポールが合流し、「& Sons」がついに複数形の現実となりました。

2000年にはニューヨーク州ミラートンへ移転。2003年7月には88,000平方フィートの自社ビルを取得し、従業員は年末には約40名に。2年後には直営店もミラートンへ移転し、妻ブリジットが店長として経営を担います。長男アレックスはカフェのエグゼクティブシェフ兼マネージャーとして店を支え、2011年にはニューヨーク・ソーホーに直営店をオープン。息子エメリックが店舗経営とマーケティング、ウェブサイト運営を担い、現在ECは全体売上の25%以上を占めるまでに成長しています。

 

ジョン・ハーニーの遺したもの

2014年6月、創業者ジョン・ハーニーは83歳でその生涯を閉じました。

ニューヨーク・タイムズは彼を「お茶の福音を広めた伝道師」と評しました。全米ティー協会から年間最優秀賞、Bon Appétit誌には食の職人として紹介され、2011年のワールドティーエキスポでは初代・生涯功績賞を受賞。地下室から育て上げた会社の中心であり続けた人物として、その名は業界に刻まれています。

父の使命は、創業の日から一貫していました。「紅茶を日常の贅沢に」。今や400種以上のお茶、世界350名の従業員を擁するブランドへと成長したHARNEY & SONSは、外部投資家を持たない純粋なファミリービジネスとして、その使命を今も受け継いでいます。そして家族のサクセスストーリーの次の章を、私たちはこれからも書き続けます。

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